『大日本人』(2007年・日本)
2009 2/2 23:31
たまには映画もいいかなぁ・・・と。
まず、結論から言うと、とても良かったです。でも感想が長くなっちゃいました。モテない男風ですね。いや、実際にモテないんですけどね。
感想書くのに作品によってそこそこ調べたりする時があります。しかし、この作品に関してはいろいろな場所でいろいろなコメントが書かれていて、流石、世間の注目度が凄いんだなぁ、と改めて実感しました。ことの他酷評ばかりでした。キューブリック監督同様、松ちゃんも何か言われれば言われるほど『シメシメ』と思う人だと思うし、何もそこまで言わなくても、とまで酷評している人、それはそれで本当は『気になって仕方ない』んだろうな、と思いました。エンターテイメントとして十分に楽しめましたけど。
フェイクドキュメントにはなってなかったのがとにかく残念。カメラマンがコンビニのガラスに写っちゃったり。やたら演技が不自然だったです。それは音声スタッフのせいだと、プロの演出家のブログに書かれてありました。僕がそう感じてしまった点がそこにあるのなら、それは確かに良くはないです。けど、問題はそんなことではないです。例えば、じゃぁ、僕がジミー大西や木梨憲武の絵を観て、技術的なことや表現に対して何か真剣に言うかっていうと、勿論言わないわけで、重要な部分はそんなことではない。
アテレコ?のせいなのでしょうか、松ちゃん含め出演者全員演技は酷いもんでした。板尾以外。何故板尾は自然だったかというと、役どころがコントのままでOKな役どころだっただけで。そういう意味ではやはり『コント』の方がまだ良い、と言える作品なのかも知れません。
良くも悪くも、吉本という組織の中で『王様』なんだと思います。本人が望んでいようがいまいが。モータウンの中で絶対的な存在になってしまった、スティービー・ワンダーみたいです。ウィキペディアにて『吉本興業』で検索してみると、元々はヤ○ザであるということが、包み隠さず書かれていて、ある意味気持ちが良いです。勿論本当のところは分かりません。考えてみたら映画とはショバの撮影の部分でかなりそっちと関わる必要があるから、丁度良いっちゃ丁度良い。また、公開前後、言いたい放題言った言葉も、亀田と同じく全部パフォーマンスでしょう。亀田?はパフォーマンスなのか?地なのか?同じボクサーでパフォーマンスと言えばカシアス・クレイか。
映画で遊んでいるなぁ、ということがとても良く伝わります。それで良いんです。所詮、芸術なんていうものは『遊び』。ただし、大人の遊びにしてもらわないとってことで、この作品は大人の遊びになっていました。
次に浜ちゃんの存在についてなんですが。こと、コントや漫才において浜ちゃんの存在はとっても大切だと思うしよく言われています。例えば松っちゃんの一人ごっつ状態を、引き戻すには浜ちゃんの存在が必要不可欠でしょう。でもビジュアルバムとか、今回みたいな映画という媒体の場合、いなくてもOKなのではないでしょうか。制作費が10億円だろうが、TVという媒体ではないので。見たくない人は見なければいい、がTVよりも顕著ですし。
電流を体に流さないと変身(?)できない、という落ち目のヒーローってところが味噌ですね。それを変にやり過ぎて、5代目・大日本人(松ちゃんのオヤジっていう設定)は早死にし、4代目の面倒を見ているという。何かを得るのには何かを失うという、影の部分ですね。コントを作り続けることの大変さを、ヒーローに投影している訳です。関係ないけど僕がイラストの仕事を始めたばかりの頃、先輩にこう言われました。
『1点1点絵を描くってことはさ、自分の肉片を何グラムづつか切り売りしていくっていうことと同じだろう』
その頃は頭で分かってはいました。20代も後半ぐらいにさしかかってくると、そのことの意味がリアルに理解できました。多分これは、モノを作る仕事に就いている方全員に言えることだと思うんです。多分スポーツ選手にも言えるのではないでしょうか。松ちゃんもモノを作ることの大変さ、そこの部分を、その磨り減っていく精神の部分を、絶対に投影させていると思います。投影しつつもフェミなファッションがまた良かった、間逆ですよね、多分日常で松ちゃんが着ている服とは。『もはや時代遅れ』、『忘れ去られたしょうもない伝統』、そんな存在がロン毛でキモいフェミ男・・・、僕はロン毛だけどフェミではないって、あっ、言っちゃった。参ったなぁ、松ちゃんの中ではあのファッションは『ダメ』の象徴なんだろうなぁ。きっと。ま、合ってますけど。
劇中、4代目・大日本人(松ちゃんのおじいちゃんの設定)が電気を流し過ぎて体を壊し、介護を松ちゃんがしてるというシーンや、5代目(松ちゃんのお父さんの設定)が変に電流を流し過ぎて早死にしてしまうとか、松ちゃんに娘がいる設定で、伝統として続いてきた『大日本人』を継ぐ・継がないの話。『愛情注いだ子供にねぇ、電流注げますかぁ?』など。悲しみと笑いの織り交ぜ方がらしくて良かったです。いかにも松本人志らしい、名セリフだと思います。また、人気が落ちている有名人とは言え、娘を撮影されるんですがね、で、放送の時に、娘にモザイクかける・かけないで揉め、結局かけるんですけど。マスコミを巧みに批判しつつ笑いにするそのセンスは流石。笑いました。いやぁ、上手いですよ、やっぱり。それから『白い恋人』、ニュースになる前にこの映画で使われたわけですが、そんなことまでも、なんか・・・良いわぁ。
こう言っては失礼かもしれませんが、絵が予想以上に良かった。途中、対比するかのごとく季節感のあるただの風景のカットを入れてみたり。わりと日本的な雰囲気。海外での上映を、作る時には意識していたであろう、あえてなんでしょうけど、良いです。また、初めて大日本人に変身(?)し、大したヒーローでもないのに大げさにあおりでパーンしてですね、顔のアップになるんです。その時小さく烏だか鳩だかが横切るんですよね。絶妙なんです、そのタイミングが。獣との戦闘中、一般人が一切いない無機質さも、『キャラがより立つ』、ことを際立たせてて、なんとも言えない、独特の世界観を出しています。登場キャラ(獣)のデザインなども、あのダサさが良いです。もし、ヒーローも獣もアメコミバリにカッコ良かったら、台無しです。
オチである『ここからは実写版にてお楽しみ下さい』、の部分。『今までCGで見せていたけどさ、ごめんね、全部嘘、作り物だから』、と、自分から言っちゃうっていう自虐的なセンス。『CG=リアリティー』という一般的に浸透し過ぎている概念、それを逆手に取っています。あんなのちゃちい技術じゃん、と。一応、最新の技術とされているCGは、嘘の構築です。嘘の構築により本当になる、本当風に観えるという。『CG=リアリティー』を、全部自分でバカにしちゃう。だって物凄いパンタロンのヒーローとかさ、格好観ただけでも腰が砕けました。つーか僕はあぁいうの履きたいんだけど。意見の別れるところですが僕はこのオチ、好きです。
考えてみたら、松ちゃんと僕は4つしか年が変わらない。やっぱり僕世代の大好きな特撮モノの雰囲気が、まぁた良い感じで出ていました。もはや時代遅れになりつつある、その手のモノに対する愛着にすら思えます。落ち目のヒーローでカッコ悪かったり、昭和の雰囲気だったり、オチがある意味ベタなアナログの戦いだったり・・・。
要は、全体的に時代遅れと言われていたり、思われているような部分を題材にし、メディアを含め技術の進歩や現代的なモノを、笑いで柔らかく批判した、極めてレベルの高い作品だと思いました。
主題はキューブリック、現場ではスティービー・ワンダー、公開前後の言葉はカシアス・クレイ(モハメッド・アリ)、亀田でもいいです。そんなところでしょうか。
松ちゃんの『ビジュアルバム』とか。あぁいうやつのロンバージョンを観た感じ。で、それで良いんです。映画という媒体になっても、そこがブレなかった、簡単そうで、難しいことです。
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